ダウン症の姉を守るため
両親は兄とちさ子を産み
幼い頃からちさ子には
「姉の面倒を見なさい」と言い聞かせていた。
ちさ子が「気が抜けない家だった」
と語るように、両親はとても
厳しかったという。
4歳でピアノを習い始めたものの
母親から「才能がない」と言われ
わずか2ヶ月でやめさせられてしまった。
小学生になると
姉がいじめに遭うようになったが
ちさ子は迷わずいじめっ子に殴りかかり
姉を守ったという。
さらに、小学1年生のときに
母親を説得してヴァイオリンを始めたが
待っていたのは地獄のような
スパルタ指導だった。
中学生になる頃には
プロのヴァイオリニストを志し
1日10時間の猛練習を自らに課した。
その努力が実り、大学は名門音大へ進学。
卒業後は海外の音楽団に入団した。
しかし、父親が勝手に音楽デュオを
結成したため帰国。
ところがそのデュオは全く売れず
すぐに解散してしまった。
その後ソロ活動を始めたが
こちらもなかなか芽が出ず
借金をしながら生活する日々。
そんなどん底のちさ子を救ったのが
意外にも高田純次だった。
高田の番組のオープニング演奏を
担当したことをきっかけに知り合うと
「僕の事務所に来ない?」
と声をかけられたのだ。
それを機にテレビ出演が増え
ちさ子は一気に“引っ張りだこ”
の存在へと駆け上がっていった。