1989年2月、福島県都路村の教員住宅の便槽から、行方不明だった25歳男性Kさんの遺体が発見された。上半身裸で膝を抱える姿勢のまま狭い便槽に入り込んでおり、死因は凍死と胸部循環不全とされた。外傷は乏しく、警察は「事故死」と判断したが、現場の状況は不可解な点が多い。
まず、直径わずか36cmの便槽に成人男性が自ら進んで入ることは極めて困難であり、衣服がどのように処理されたかも説明がつかない。
また死亡推定日と発見日には数日のずれがあり、生活痕跡も不自然だった。村民や同僚は「事故ではなく他殺」と考え、約4300名分の署名で再捜査を要望したが、警察は応じなかった。
その後、村長選挙や原発問題との関係が噂され、告発者だった可能性や、対立に巻き込まれた可能性も取り沙汰された。映画や書籍でも“怪死事件”として扱われ、政治的背景説から心霊的解釈までさまざまな仮説が飛び交っている。父親も「息子は殺された」と訴え続けたが、公式には事故死のまま。不可解な状況証拠や説明不能な点が多く、事件は今なお謎と不信を残し続けている。