豪雨の音は、窓ガラスを叩くというより、家そのものを揺さぶっていた。玄関先に立った私は、体の芯から熱が噴き出すような感覚に耐えながら、娘の手を握り直した。娘も顔が赤い。額は熱く、唇は乾いている。
「お願い。タクシーだけでも呼んで。私も娘も熱が――」
言い終える前に、夫はマスクを押さえながら一歩引いた。まるでこちらが汚れたものみたいに。
「うつったら仕事できないだろ!」
その声は大きかった。豪雨にかき消されるほどではない。むしろ家の中で反響して、私の胸を殴った。夫は続ける。
「実家に帰れ。お前の親なら看病できるだろ。俺は明日も仕事なんだ」
私は「人として」と言いかけてやめた。人として、などと説明する段階ではない。夫の中では、私と娘は“家庭”ではなく“リスク”なのだ。私は娘のフードを深く被せ、傘を差した。風が傘を煽り、雨が横から容赦なく頬を打つ。
玄関のドアが閉まった。鍵の音がした。内側から。
私たちは豪雨の中を歩いた。娘は途中で何度も足を止めた。私は抱え上げた。腕が震え、視界が滲んだ。息を吸うたびに喉が焼けた。何度も転びそうになりながら、それでも前へ進んだ。
実家の明かりが見えたとき、私はようやく息を吐いた。
母が玄関を開けた瞬間、声にならない声が漏れた。
「……こんな雨の中で、どうして……!」
私は答える余裕がなかった。娘を布団に寝かせ、自分も隣に倒れ込んだ。体の熱はさらに上がり、悪寒が骨を噛んだ。
病院では「感染症の可能性が高い」と言われ、娘は点滴、私は検査と解熱剤。医師は私の顔を見て、淡々と言った。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください