息子の家に泊まることになったのは、私の体調が少し崩れたからだった。大事ではない。けれど息子は心配し、「しばらくこちらに来て。病院も近いし、何かあったらすぐ動ける」と言ってくれた。嫁も「お義母さん、遠慮しないでくださいね」と笑って迎えてくれた。私はその言葉を、素直にありがたいと思った。
久しぶりの息子の家は、整っていて、静かで、暮らしの匂いがした。
私は客用の布団を用意してもらったのだが、息子が「腰がつらいならベッドの方がいい」と言い、寝室のベッドを半分空けてくれた。私は何度も断った。それでも「親孝行させて」と言う息子の顔に負けた。
その夜、寝室で眠ろうとしたとき、枕元の充電ケーブルが足りないことに気づいた。ベッドの下に落ちているかもしれないと思い、しゃがんで手を伸ばした。その瞬間——
聞こえた。
寝室の隣、リビングの方から、息子夫婦の声が小さく、しかし妙にはっきりと耳に入ってきた。私の顔は、ベッドの下の暗闇に半分隠れている。向こうは、私がまだ起きているとも、ここにいるとも思っていない。
「……今のうちに、決めといた方がいいよな」
息子の声だった。いつもより低く、硬い。
「うん……。正直、あのままだと、ずっと居座られたら困る」
嫁の声。丁寧で柔らかい声しか知らなかった私は、背中に冷たいものが走った。
「でも、本人は“少し泊まるだけ”って言ってるし……」
「言うだけだよ。そうやって、気づいたら“住む”になる。よくあるじゃん。親ってさ」
“親ってさ”。
その言葉が、私の胸の奥に刺さった。
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