赤ん坊の泣き声と、3歳の双子の足音が重なる朝は、いつも戦場みたいだった。ミルクを作りながら片手で双子の着替えを促し、オムツ替えの途中で誰かが転び、やっと座れたと思ったら赤ん坊が泣く。眠気と疲労が骨に染みついて、鏡に映る自分は誰だかわからない顔をしていた。
その日もそうだった。双子が「ママ見て!」「ママこっち!」と同時に腕を引き、赤ん坊は泣き止まず、私は頭の中でただ一つの言葉を繰り返していた。
——今日を乗り切れ。
玄関が開く音がした。夫が帰ってきた。普段なら「おかえり」と言う余裕もない。ただ、彼の存在が家の空気を変える。少しでも抱っこを代わってくれたら。双子をお風呂に入れてくれたら。そう思った。
ところが夫は、私の横を素通りしてテーブルに一枚の紙を置いた。
「これ。離婚届」
私は一瞬、耳が聞こえなくなった。赤ん坊の泣き声さえ遠くなる。夫は淡々と続けた。
「もう無理。やってられない。しばらく出るわ」
そして荷物もろくに持たず、靴を履き直して玄関へ向かった。私は思わず叫んだ。
「は? 今それ言う? 赤ん坊と双子がいるの見えてるよね?」
夫は振り返らなかった。
ドアが閉まる音だけが、妙に大きく響いた。
床に散らばったおもちゃ、泣き続ける赤ん坊、こちらを見て固まる双子。私はその場に立ち尽くして、数秒後、ふっと笑ってしまった。怒りより先に、笑いが出たのだ。自分でも驚くほど、乾いた笑いだった。
「……は? まあいいや。提出しとこw」
私は離婚届を手に取った。紙は軽い。軽いのに、人生が動く重さを持っている。
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