十三年前のあの日、救急外来の白い光だけが、やけに残っている。
四歳の甥、航平は交通事故で意識不明になった。医師は「今夜が山」と言い、私は弟夫婦に何度も電話をかけた。だが、つながらない。折り返しもない。病院の廊下で夜が明け、窓が薄青く染まった頃、ようやく弟から一通だけ短いメッセージが届いた。
「すまん。無理。任せた」
その後、弟夫婦は消えた。
住んでいた部屋は空になり、職場も辞め、連絡先も変え、親族の誰にも居場所を知らせない。置き去りにされたのは、意識の戻らない航平と、病院の書類と、そして「なぜ」という穴だけだった。
航平は奇跡的に目を覚ました。だが、両親の記憶は抜け落ちていた。名前を呼んでも反応がない。写真を見せても首を傾げるだけ。医師は静かに言った。「脳が守ろうとしたのでしょう。思い出せないほうが、生きやすい場合もあります」
私は航平を引き取った。私は母親ではない。だが、この子の人生が、また誰かに勝手に壊されることだけは許せなかった。夜泣き、リハビリ、保育園の呼び出し。小さな手が私の服を掴むたび、私は何度も自分に言い聞かせた。
――私が、この子の帰る場所になる。
十三年は、長いようで短い。
航平は十七歳になった。背は伸び、目つきは鋭い。けれど、根は不器用なほどまっすぐだった。アルバイトで稼いだ金を「学費に足して」と差し出し、私が風邪を引けば無言で薬とお粥を買ってくる。口数は少ないが、頼りになる子になった。
その航平に、ある日、一本の電話が入った。法律事務所からだった。
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