七歳になる娘の誕生日は、私にとって一年でいちばん大切な日だった。娘が「誕生日は家族で旅行がいい」と言い出してから、私は少しずつ計画を進めていた。行き先は海外。娘が図鑑で見て憧れた街。小さな背中に“世界は広い”と教えたかった。
ところが出発の三日前、夫が平然と言った。
「ごめん、出張が入った。旅行は無理だわ」
申し訳なさそうな顔すら作らない。
その瞬間、娘の目が一度だけ揺れた。それでも娘は強かった。
「じゃあ、ママと二人で行っていい? 約束は約束だもん」
私は迷った。家族旅行のはずだった。けれど、娘の“約束を守る”という信念を折りたくなかった。私は静かにうなずいた。
「行こう。二人で最高の誕生日にしよう」
出発当日。娘は朝からきびきびしていた。小さなリュックを背負い、パスポートの入ったケースを両手で抱え、まるで隊長のように言った。
「戸締りOK! さぁ行こう!」
その声があまりに頼もしくて、私は思わず笑った。——ただ、玄関を出る前に、私はふと違和感を覚えた。夫は出張のはずなのに、家の裏手、物置のあたりから微かな物音がしたのだ。
胸が冷える。理屈ではなく、長年の感覚が告げていた。“これは確認すべきだ”と。
娘には見せたくない。私は娘に言った。
「ママ、忘れ物チェックするね。玄関で待ってて」
娘は敬礼みたいに手を上げた。
「了解!」
私は静かに裏へ回り、物置の扉に近づいた。鍵はかかっていない。中から、抑えた声と、聞き覚えのある笑い声が漏れていた。夫の声。そして、夫の“親友”の声だった。
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