駅前のロータリーは、夕方の湿った風でざわついていた。私は小さなスーツケースの持ち手を握り直し、改札を出てから何度もスマホの画面を見た。夫からは「母さんの車で迎えに行く」とだけ。ありがたいと思ったのは最初の数分だけだった。
やがて、白いミニバンがゆっくりと寄せて止まる。運転席には義母、助手席には夫。窓が下りると、義母はにこやかに手を振った。
「お疲れさま。乗って、早く帰りましょ」
私は後部座席に回ろうとした。だが、その瞬間、夫が薄く笑って言った。
「お前は歩いてこい。家まで3時間くらいだろ? 運動になるし。w」
耳を疑った。冗談にしては目が笑っていない。義母も止めるどころか、「最近の若い人は足が弱いものねぇ」と、たしなめるような口調でうなずく。
私は一度、言葉を飲み込んだ。反論すれば、いつものように「冗談もわからないの?」で片づけられる。ここで声を荒げても、惨めになるだけだ。私は静かに息を吸い、夫の目をまっすぐ見た。
「わかった」
夫は勝ち誇ったように肩をすくめた。「じゃ、先に帰ってるわ」。義母の車は、私を残してロータリーを離れていった。
排気の匂いだけが、取り残された私の足元に残る。
——歩く、と決めたのは彼らだ。でも、私がどう歩くかは私が決める。
私は駅前のベンチに腰を下ろし、スーツケースを足元に置いた。まずは靴紐を結び直すふりをして、頭を冷やす。次に、バッグからモバイルバッテリーを出し、スマホをしっかり充電できるようにしておく。それから、淡々と画面を操作した。
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