薄暗い銀行のロビーは、冷房の風だけがやけに整っていた。受付カウンターの向こうで、制服姿の職員たちが淡々と書類をさばく。そこへ、ひとりの老人が入ってきた。
背中は少し丸まり、履き古した靴は泥が乾いて白く粉を吹いている。上着も色あせ、袖口はほつれ、髪には風に運ばれた埃が絡んでいた。名札はない。ただ、目だけが妙に澄んでいた。
老人は順番札を取り、静かに椅子に座った。
ところが、数分もしないうちに、近くの職員が露骨に眉をひそめ、警備員を呼んだ。
「お客様、申し訳ありませんが……こちらはご遠慮いただけますか」
「……どういうことだね」
職員は周囲を気にするふりをしながら、声を落とした。
「においが……ほかのお客様のご迷惑になります。今日はお引き取りください」
老人は一瞬、言葉を失った。自分が汚れていることは分かっている。だが、胸の内にあるのは恥ではなく、今日どうしても果たさねばならない用事だった。
「口座の確認をしたいだけだ。少しでいい」
「ルールです。申し訳ございません」
警備員が近づき、半ば腕を取るようにして出口へ誘導する。周囲の視線が刺さり、老人は最後まで抵抗しなかった。ただ、扉の前で一度だけ振り返り、職員の名札を見た。
――佐伯。
その夜、老人は安い宿の一室で、ゆっくりと顔を洗い、長い間折りたたんでいた封筒を開いた。中には、通帳の控えと、古い写真が一枚。
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