幼い命は、なぜ最も守られるべき家庭という密室の中で、ここまで無残に踏みにじられなければならなかったのか。京都で起きた男児遺棄事件は、父親の逮捕によって一気に全貌が浮かび上がり始めた。しかし、明らかになればなるほど胸に迫るのは、単なる凶悪事件という言葉だけでは片付けられない、底知れぬ異様さである。
逮捕された足立有樹容疑者は、当初、男児を小学校まで車で送ったと説明していた。
実際、防犯カメラには容疑者の車が映っていたという。だが、そこに被害男児が降りる姿はなかった。つまり、表向きは「送り届けた父親」を演じながら、その裏で全く別の現実が進んでいた可能性が高いのである。この一点だけでも十分に恐ろしい。だが、本当の戦慄はその後に続く。
男児が行方不明になってから遺体発見までの約三週間、容疑者は遺体を移動させ、ランドセルや靴などの持ち物を不自然に点在させるなど、捜査を撹乱するような行動を繰り返していた疑いが持たれている。ただ取り乱れていたのではない。自分に疑いが向かないよう、時間を稼ぎ、周囲の目を欺こうとする意図があったと見られている。この冷静すぎる隠蔽工作に、言葉を失う人は少なくない。
さらに、周囲の証言からは、事件以前から家庭内に不穏な空気が漂っていたことも見えてくる。男児は学校で足立容疑者のことを「変なおっさん」と呼び、「家に来て喧嘩ばかりして嫌だ」と漏らしていたという。幼い子どもがそう口にするまでには、日々積み重なった恐怖や拒絶感があったはずだ。ホームセンターで厳しく叱責される姿も目撃され、学校でも教室に入れず、保健室へ逃げ込むことが多かったとされる。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Pk4aHfcfUQM,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]