「税金で生活しているくせに」――学習院初等科の頃、親しい友人から向けられたその一言が、幼い宜仁親王の胸にどれほど深く刺さったのか、想像するだけで苦しくなる。三笠宮家の次男として生まれ、のちに桂宮家を創設した桂宮宜仁親王は、明るく素直で、学業にも優れ、スポーツも得意な少年だったと伝えられる。ビートルズを好み、バンド活動にも親しむ一面もあった。
だが、皇族という立場ゆえに何気なく投げつけられた言葉は、少年の心に消えない傷を残した。正直、耳を疑った――そんな残酷な言葉を、まだ幼い時期に受け止めなければならなかったのである。
桂宮宜仁親王は1948年2月11日、三笠宮崇仁親王殿下の第2男子として誕生した。学習院大学法学部政治学科を卒業後はオーストラリア国立大学大学院へ留学し、その後はNHK嘱託として勤務。華やかな肩書だけを見れば、順風満帆な人生に思えるかもしれない。だが、その内側では、皇族としてどう生きるべきか、自分は何を背負って生まれてきたのかという葛藤が、静かに積み重なっていたのだろう。39歳のときには「私のようなつらい思いをする人を増やしたくない」という思いから、生涯独身を決意したとも伝えられている。
その決断は、軽いものではなかったはずだ。誰にも見せない場所で悩み抜いた末の、痛みを伴う選択だったに違いない。
そして1988年5月、桂宮家を創設したその年に、宜仁親王は発病する。病に倒れ、以後は長い闘病生活へと入っていった。後遺症によって身体の自由を大きく奪われ、車いすでの生活を余儀なくされてからも、その歩みは止まらなかった。
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