昼休みの12時20分、銀行の駐車場へ入った私は、思わずブレーキを踏んだ。
車の通路に敷物を広げ、1人の男性が地面にひざまずいていたのだ。
靴は隣の区画に置かれ、駐車スペースを2台分ふさいでいる。
ここは田舎町の小さな銀行。
まさか駐車場の真ん中で祈っている人がいるとは思わなかった。
後ろから来た軽自動車も急停止し、運転していた高齢女性は困った顔をしていた。
「危ないよ。車から見えにくい場所なのに……」
ところが男性は周囲を見ず、そのまま祈り続けている。
そこへ別の客が窓を開けて叫んだ。
「ここは銀行の駐車場だぞ。家でやれ!」
空気が一気に険悪になった。
しかし、怒鳴っているだけでは事故が起きる。
私は車を安全な場所に停め、銀行員へ状況を伝えた。
数分後、支店長と警備員が出てきた。
支店長は男性の邪魔をしないよう少し離れた場所で待ち、祈りが終わると静かに声をかけた。
「信仰を否定するつもりはありません。ただ、ここは車が通る場所です。ご本人にも運転手にも危険なので、駐車場での行為はお断りしています」
男性は最初、「5分だけです」と不満そうに答えた。
すると支店長は、入口に設置された防犯カメラを指した。
映像には、男性のすぐ横を車が通過し、高齢女性の車が急ブレーキをかける場面まで記録されていた。
さらに男性の車は、銀行を利用せず30分以上停められていたという。
「問題は祈ることではありません。私有地を無断で使い、通行を妨げたことです」
その一言で、男性は黙り込んだ。
支店長は近くの公共施設を案内し、そこで利用できる静かな場所を教えた。
男性はようやく敷物を畳み、靴を履いた。
「危険だとは考えていませんでした。すみません」
そう頭を下げ、車を移動させた。
一方、怒鳴っていた客にも、支店長はきっぱり告げた。
「注意は私たちが行います。相手の文化や出身を侮辱する発言はお控えください」
結局、誰かの信仰を攻撃することも、危険な行為を見逃すこともなかった。
翌日、駐車場には「車両通行区域での座り込みや長時間滞在は禁止」という多言語の案内が掲示された。
その後、同じ行為は一度も起きていない。
どんな事情があっても、銀行の駐車場は祈りや集会のための場所ではない。
必要なのは感情的な排除ではなく、誰に対しても同じルールを、冷静にはっきり伝えることなのだ。