アンパンマンの作者・やなせたかしと名乗ると、多くの人が驚いたという。
九州出身で、五十歳を迎えてからようやく描き始めた彼が、後に国民的ヒーローを生み出すとは誰も想像していなかった。しかも注目されたのは六十歳、テレビアニメが始まったのは七十歳を目前にしてからである。あまりにも遅い出発だった。
最初のアンパンマンは、今の姿とはまるで違っていた。顔を食べさせるという設定は「残酷すぎる」と批判され、幼稚園や図書館からも「置くべきでない」と突き放された。
出版社からも「これ一冊で終わりにしてください」とまで言われる始末。誰からも必要とされない、孤独なヒーローの誕生だった。
だが、やなせの心の奥には消えない思いがあった。戦争で亡くなった弟・千尋の存在だ。二歳下の千尋は、文武両道で活発な青年だったが、特別任務に志願し、フィリピン沖のバシー海峡で戦死した。最後に残した言葉は「兄貴は生きて絵を描いてくれ」。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=ckPQlR9VbfY,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]