1868年(慶応4=明治元年)、松江藩の武家・小泉家に次女として生まれたセツは、節分の日に生まれたことから「節」と名づけられた。
ところが誕生当日、子に恵まれなかった縁戚・稲垣家へ養女に出される。以後、小泉と稲垣――血の親と育ての親、二組の父母に囲まれて育つ。稲垣の養母・富は出雲神話や怪談に通じ、夜ごと語り聞かせた。養父・金十郎は人好きで洒脱、実母・知恵は読書家で語りの名手、実父・港は剛毅の武人。武家の矜持と語り部の素養――のちに“耳なし芳一”“雪女”を世界へ届ける下地は、幼少期の膝枕の物語から芽吹いた。
明治維新で士族は家禄を失い、稲垣家も急速に困窮する。詐欺に遭い借財が嵩み、家は手放され、セツは学業を諦めざるを得なかった。それでも彼女は試験に合格し続け、卒業証書を生涯大切に保ったという。
「女に学問はいらぬ」という声に、セツは先達の女性教養人を挙げて反駁した――学びたい。けれど家を支えねばならない。彼女の胸の奥で、武家の責務と少女の夢が軋み合う。
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