俺の名は打田岳、十九歳。生まれて間もなく孤児院の門前に捨てられ、親の顔も知らない。十八で施設を出たものの学歴も後ろ盾もなく、百貨店のバックヤードでアルバイトをしながら就職活動を続けていた。財布の中身はいつも心許ない。履歴書の写真を撮り直す金すら惜しい——そんな暮らしだった。
ある晩、バイト帰りに立体駐車場を通りかかったとき、精算機の前で中年の男性が苛立ったように機械を叩いていた。
「カードしかなくて、なぜか通らない。現金がないんだ」見て見ぬふりをしようとした。だが、背中越しに呼び止められる。「少年、千円だけ、両替してくれないか」
財布を開くと、千円札は一枚だけ。明日の食費を兼ねた、最後の命綱だった。それでも不思議と、このまま立ち去れば一生後悔する気がした。俺は無言で千円札を差し出した。男性は深く頭を下げ、名刺を渡してくる。「弁護士だ。困ったことがあれば連絡しなさい。必ず返す」
数日後。いつもの帰り道、駐車場の脇にいかにもな二人組が屯していた。目を合わせないように歩いた瞬間、肩を掴まれる。「金、貸せよ」断ると腹に拳がめり込み、膝が崩れた。頬にも一発。視界が白く弾ける。
——その時、黒塗りの高級車が音もなく滑り込み、サングラスの男たちが降り立った。
「……少年、お困りのようだな」サングラスを外した男は、あの弁護士だった。男たちは俺とチンピラを囲み、空気が一気に冷える。
弁護士は封筒を差し出した。「借りた千円を返しに来た。色も付けておいた」中には一万円が入っていた。俺が慌てて返そうとすると、彼は静かに言う。「情けで渡したんじゃない。借りた以上、返す。それと——人から金を借りるな。覚えておけ」
チンピラが「弁護士かよ」と薄ら笑うと、弁護士の目が一瞬だけ鋭くなった。「俺は弁護士だが、親は組の組長でね」その言葉だけで、二人の顔色が変わる。
弁護士は彼らに優しく告げた。「困ってるなら、乗っていけ。いいところに連れて行く」喜んで車に乗り込んだ二人は、扉が閉まった瞬間から二度と笑わなかった。
残された俺に、弁護士はまっすぐ向き直る。「それより岳。俺の息子にならないか」冗談には見えなかった。彼もまた拾われた過去を持ち、拾ってくれた“親父”に返せない恩を、俺に渡したいのだと言った。
拳を握った。怖さより、胸の奥が熱かった。天涯孤独だと思っていた人生に、初めて“手を差し伸べる大人”が現れたのだ。俺は頷き、彼の差し出した手を強く握り返した。いつか俺も、受け取った恩を誰かへ返せる人間になる——そう心に誓いながら。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=PLnidneI2Q8,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]