ある晩、玄関の鍵が乱暴に回る音がして、妻が息を切らしてリビングに入ってきた。手にはスマホ。画面を握りしめる指が白くなっていた。
「離婚してください!!」
それは、相談でも泣き言でもなく、いきなりの宣告だった。
私は驚かなかった。ここ数か月、会話は減り、目も合わず、何を言っても空返事。
決定的な喧嘩があったわけではないのに、家の中の温度だけが下がっていく感覚があった。だから、来るべきものが来たのだろう、と静かに受け止められた。
「……は、いいよ」
私は棚から一枚の紙を取り出し、テーブルに置いた。
「ほら、離婚届w」
妻の目が見開かれた。たぶん、泣いて止めて、すがりついて、泥沼になる展開を想像していたのだと思う。けれど私は、もう“引き止めるための夫”を演じる気がなかった。用意していたのは、意地ではなく、覚悟だった。
「なんで……そんなに早いの?」
妻は声を震わせた。私は淡々と答えた。
「気持ちが離れてる人を、書類で縛っても意味ないだろ。君が決めたなら、俺も決める」
その夜、記入欄を埋め、必要書類を揃え、翌朝には役所へ行った。提出はあっけないほど簡単だった。窓口の職員が事務的に確認し、受理印が押される。たったそれだけで、夫婦だった関係が“過去”になる。
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