1923年(大正12)の関東大震災後、被災地での商店の再建が進むとともに、店頭にカウンターを設ける店舗が増え、関東を中心に、たばこ屋も座売りからカウンター販売へと変わっていきました。
さらに1931年(昭和6)には元売捌制が廃止され、専売局が小売人に直接製品を卸す直営配給制になりました。それに伴い、通達や製品の配給を円滑化するため、各地で小売人組合が整備され、小売人組合は専売局の方針を受けて販促活動を行いつつ店舗什器の共同購入も行ったため、店頭は似通った形へと整えられていきました。
小売人組合が中心となって「たばこ展覧会」や店舗装飾競技会などを実施するなど、商品の陳列方法や店頭装飾が模索された時期でした。日本では、きせるで刻みたばこを吸う喫煙文化が江戸期に浸透し、その文化は紙巻たばこが普及しはじめた明治期にも根強く支持されていました。
1904年(明治37)にたばこが専売制となるまで、たばこ屋には様々な業態がありました。葉たばこの産地近くで葉たばこや刻みたばこを卸売・製造する業者もあれば、消費地には刻みたばこ製造と販売を兼ねた小規模な小売業者もあるなど、卸売 - 製造 - 小売が混然としていました。一方で、紙巻たばこを扱う店はまだ少数でした。また、今では喫煙具はたばこ屋さんで買うことが多いですが、当時は、きせる屋やたばこ入れ屋といった専門の店から買い、そこで誂えや修繕も依頼できました。
明治中期になると、紙巻たばこを製造する業者が大規模な工場を構え、全国の卸売業者・小売業者と特約を結びました。製造業者たちは様々な広告手法を用いた激しい販売競争を繰り広げ、専売前夜のたばこ屋の店頭は、製造業者が特約店用に作った看板やポスターなどの商品広告で賑やかに彩られました。
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