昭和37年(1962年)、東京・大手町のビジネス街では、多くのサラリーマンが昼休みになると、自作の弁当を腰に提げて食べる姿が日常的に見られました。この光景は当時「腰弁族」と呼ばれ、一部では哀愁を帯びた象徴として、時代を反映するものだったのです。この記事では、そんな「腰弁族」という言葉の背景や、弁当文化が昭和から現代に至るまでどのように変遷してきたのかを探ります。
腰弁族の誕生とその背景
「腰弁族」という言葉は、明治時代以降に使われるようになりました。この言葉は、弁当を腰に下げて働く勤労者を指しており、当時のサラリーマンの象徴的な姿でした。特に大正・昭和初期には、家で用意された弁当を持参することが一般的で、昼食は自分で持ってきた弁当を食べるというスタイルが主流でした。
腰に弁当を下げている姿は、一見すると家庭的で愛情に満ちたもののように見えるかもしれませんが、その裏には社会的な背景がありました。
しかし、この「腰弁」という言葉には、どこか物悲しさや安月給といった負のイメージも含まれていました。
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