山中で見つかった少年の遺体は、ただ「発見された」のではなかった。そこには、犯人が隠しきれなかった感情と、隠そうとして失敗した痕跡の両方が残されていた。とりわけ異様だったのは、遺体がうつぶせではなく、仰向けで置かれていたことである。
元刑事の目から見れば、この向きは決して偶然ではない。赤の他人を“物”のように遺棄するなら、顔を見えないようにし、草むらへ乱暴に投げ捨てる形になりやすい。
ところが今回は違った。少年は顔が見える状態で残されていた。そこには、最後の最後で完全には切り離せなかった人間的な反応がにじんでいる。継父の男は、衝動のまま手を下した直後、わずかな罪悪感か、あるいは後悔にも似た感情に引き戻され、一度は“息子の顔”を見てしまったのではないか。そう考えると、この仰向けの遺体は、単なる配置ではなく、関係性そのものを語る沈黙の証言に見えてくる。
だが、この事件が本当に恐ろしいのは、その感情のすぐあとに、極めて冷たい行動が続いている点だ。捜査線上に浮かんだのは、山奥へ向かう途中の公衆トイレだった。一見すると犯行とは無関係に思える場所だが、実はこここそが“最初の処理ポイント”だった可能性が高い。
なぜならトイレには、水がある。紙がある。個室がある。鏡もある。犯行直後に手や衣服の汚れを落とし、身なりを整え、不要なものを処分するには、あまりにも都合がよすぎる場所だからだ。
もし最初から完全な計画犯であったなら、途中でそんな場所に立ち寄る必要は薄い。最短で移動し、痕跡を最小限に抑えるはずである。ところがこの男は止まった。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=mnmpD4bUksw,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]