新幹線の中で、ただ席を譲っただけだった。
目の前に立っていたお年寄りが、明らかに辛そうに手すりを握っていた。私は迷わず立ち上がり、「どうぞ」と声をかけた。隣には子どももいたし、そういう姿を見せるのが当たり前だと思っていた。
だが――その瞬間だった。
横からスッと入り込んできた男が、当然のようにその席に座った。
「……は?」
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
譲った相手は目の前にいるのに、関係ない男が座っている。私はすぐに言った。
「そこ、違いますよ。今、あの方に譲った席です」
だが男は、こちらを一瞥しただけで、何も聞こえていないかのようにスマホをいじり始めた。
「聞こえてますよね?」
もう一度言うと、男はようやく顔を上げ、鼻で笑った。
「は?早い者勝ちだろ」
その一言で、空気が変わった。
周りの視線が一瞬だけ集まり、また逸れる。誰も関わりたくない、そんな空気だった。だが私は引けなかった。子どもも見ている。ここで黙ったら、それこそ間違っている。
「違いますよ。譲った席です」
すると男は、ニヤニヤしながら体を預けた。
「じゃあどうすんの?どかすの?」
その言い方が、完全に人を舐めていた。
さらに男は続けた。
「打てよ。どうせできねえだろ」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
「……何だって?」
「やれよ。ほら。子どもも見てるぞ?かっこいいとこ見せろよ」
胸の奥から、何かが一気に込み上げてきた。手が震えた。視界が狭くなる。
気づけば、私は一歩踏み出していた。
その瞬間――
「やめて!」
子どもが、後ろから私の腕を掴んだ。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください
引用元:,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]