華やかで、自由で、そして強い——けれどその生き方の裏には、常に孤独があった。
やなせたかしさんの実母・柳瀬登喜子さん。彼女の人生は、まるで昭和初期の日本女性の縮図そのものだ。
ドラマでは松嶋菜々子さんがモデルとなる人物を演じて話題になったが、実際の登喜子さんの生涯は、それ以上に波乱万丈だった。
1894年(明治27年)、高知県香美郡の山あいにある名家・谷内家の次女として誕生。
地元では名の通った地主の家に育ち、当時としては珍しく女学校に進学。恵まれた教育と環境の中で育った。
しかし、彼女の人生は順風満帆ではなかった。若くして最初の結婚に失敗し、実家に戻る。
その後再婚し、さらに離婚。再びの再婚相手が、後にアンパンマンの生みの親となるやなせたかしさんの父・柳瀬清だった。
清は、上海東亜同文書院大学を卒業した秀才で、講談社に勤める新聞人。二人の間に生まれた長男・たかし(嵩)と、次男・千尋。
しかし、結婚からわずか数年後。
清は赴任先の中国で病に倒れ、31歳の若さでこの世を去る。登喜子さん、わずか30歳。残されたのは、幼い二人の息子。
経済的にも社会的にも、「未亡人が子ども二人を抱えて生きる」ことがどれほど厳しかったか。
登喜子さんは、生きる術を求めて、琴、三味線、謡曲、生け花、洋裁、茶道——ありとあらゆる“手に職”を身につけた。
やなせたかしさんは後にこう語っている。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください