夕方の帰宅ラッシュが始まりかけた市内循環バスの車内は、買い物袋を抱えた高齢者や、部活動帰りの中学生、仕事を終えた会社員たちでほどよく混み合っていた。いつもと変わらぬ、どこにでもある日常の一コマ――その空気を破ったのは、後方座席に並んで座っていた数人の小学生の笑い声だった。
彼らはランドセルを足元に放り出し、ひときわ大きな声で談笑していた。
やがてそのうちの一人が、通路脇の降車ボタンに目を留める。赤く光るそのボタンは、子どもたちの好奇心を刺激するには十分だった。
「次、押してみようぜ」
軽いノリで放たれたその一言をきっかけに、少年は躊躇なくボタンを押した。車内に「次、停まります」というアナウンスが流れる。数人の乗客が顔を上げたが、特に騒ぎにはならない。誰かが本当に降りるのだろう、と多くの人がそう思った。
しかし、バスが停留所に差しかかり、ゆっくりと減速し、扉が開いた瞬間、少年は満面の笑みでこう叫んだ。
「やっぱ降りませーん(笑)」
車内に、微妙な沈黙が落ちた。運転手はミラー越しに後方を確認していたが、少年たちは立ち上がる気配もなく、互いに顔を見合わせて笑っている。
運転手は一度扉を閉め、再び発車した。
それで終わるかと思われたが、次の瞬間、別の少年がまたボタンを押した。アナウンスが再び流れる。今度は明らかに悪ふざけだとわかる形だった。
「次こそ降りるんじゃね?」
「やっぱ降りませーん!」
停留所に着くたびに同じやり取りが繰り返され、車内の空気は徐々に張り詰めていった。
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