気温が氷点下十度まで落ち込んだその夜、町内は息を吸うだけで肺が痛くなるほどの冷気に包まれていた。街灯の明かりに照らされた路面は白く凍りつき、足を踏み出すたびに靴の裏から乾いた音が響く。そんな極寒の中、俺は自宅アパートの前で立ち尽くしていた。
原因は、一台の黒い高級車だった。
その車は、何度注意されても平然と敷地内の通路を塞ぐように違法駐車を繰り返していた。
住人が車を出せず困ることも一度や二度ではなく、管理会社へ連絡しても「確認します」の一点張り。警察に相談しても民事不介入だの、すぐには対応できないだのと、要領を得ない返事ばかりだった。
だが、その夜ばかりは、俺の中で何かが切れた。
仕事で疲れ切って帰宅したところへ、またしても例の車が堂々と停まっていたのだ。しかも今度は、車椅子用の通路にまで半分はみ出している。冷えきった空気の中、白い息を吐きながらその光景を見た瞬間、胸の奥に溜まっていた苛立ちが一気に噴き上がった。
「……ふざけるなよ」
自分でも驚くほど低い声が漏れた。足元には、共用の散水用ホースがあった。蛇口をひねれば、刺すように冷たい水が勢いよく流れ出す。
この寒さなら、撒いたそばから凍る。それくらいのことは、誰にでも想像がついた。
本来なら、やってはいけないことだ。それはわかっていた。だが、そのときの俺には理性よりも怒りのほうが勝っていた。
俺はホースを握りしめ、違法駐車の車に向かって水をかけ始めた。フロントガラス、ドア、ボンネット、タイヤ周り。透明な水はたちまち薄い氷の膜へ変わり、黒い車体をぬらぬらとした氷で覆っていく。
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