一九九一年一月、ハワイ・マウイ島の静かな教会で、松坂慶子は人生を大きく変える決断をした。
当時の彼女は、日本映画界を代表する大女優だった。『蒲田行進曲』や『死の棘』などで圧倒的な存在感を示し、その美貌と演技力は誰もが認めるところだった。そんな彼女が結婚相手に選んだのは、無名に近いジャズギタリストであり写真家でもあった高内春彦だった。
普通なら祝福されるはずの結婚だった。だが、二人を待っていたのは拍手ではなく、嵐のような非難だった。
帰国した成田空港で、松坂慶子の父・英明氏は、娘の夫となった高内を激しく批判した。メディアの前で「ヒモ」と呼び、娘を奪った男として公然と責め立てたのである。父にとって娘は、ただの娘ではなかった。家族の生活を支え、豪邸のローンを払い、松坂家そのものを背負う存在だった。
その娘が、自分たちの管理の外へ出ていく。
その恐怖と怒りが、父の言葉を過激にしていった。
ワイドショーは連日のように親子の断絶を報じた。世間は高内春彦を「大女優をたぶらかした男」と見なし、経済力の差を理由に冷たい視線を向けた。
だが、不思議なことに、渦中の高内本人は一切反論しなかった。
どれほど罵倒されても、どれほど「ヒモ」と書かれても、彼は沈黙した。ただ松坂慶子のそばに立ち、嵐が過ぎるのを待つように静かに寄り添っていた。
一九九二年、松坂慶子は実家との関係を整理するため、大きな決断を下す。家族のために支えてきた豪邸を手放し、自分自身の人生を取り戻そうとしたのである。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=TOZ6yLXwO2k,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]