2005年、67歳になった島倉千代子さんは、涙を浮かべながら会見でこう語った。「法律が許してくれるなら、この手で刺したい」と。会場は静まり返った。全国から愛された歌手が、なぜそのような言葉を口にしたのか――その背景には、信じられないような裏切りと、十三年間にも及ぶ苦悩があった。
物語は1961年、23歳の島倉千代子さんが日本を代表する歌手として活躍していた頃に遡る。
コンサート会場は熱狂的なファンで埋め尽くされ、紙テープが飛び交う中で起きた事故――その芯が目に直撃し、眼底出血を起こしたのだ。医師からは失明の可能性を告げられ、歌手としての人生が一瞬で絶望の淵に追いやられた。幼少期、疎開先で左腕を大怪我した経験を持つ彼女にとって、再び運命が大切なものを奪おうとしていた瞬間だった。
そんな絶望の中、森谷義人医師が現れた。難しい症例にもかかわらず治療に尽力し、島倉さんの視力を回復させたのだ。命の恩人に出会った島倉さんは、その人物を絶対の信頼で受け入れる。しかし、1968年の離婚と母の死により、34歳で完全に孤独になった彼女の前に、再び森谷さんが現れ、二人は恋愛関係に発展する。
だが、順調な関係の裏で、森谷さんは不動産事業や金融の契約に島倉さんを巻き込み、実印を使って借金の保証人にしてしまった。結果として、十六億円という途方もない負債が島倉さんにのしかかることになる。森谷さんは1977年に忽然と姿を消し、島倉さんは孤立無援の中で返済に立ち向かわなければならなかった。
彼女は歌手としてのキャリアを捨てることなく、全国を巡業し、レコーディングを重ね、地道に借金を返済した。
途中、銀座でのクラブ経営や、ヤクザとの交渉を通じて借金を減額する手助けをしてくれる人物も現れたが、最終的な重荷を背負い、全てを取り戻すまでには七年もの歳月を要した。
島倉さんの人生は、信じた人に裏切られ、失ったものを取り戻すために戦い続けた年月である。それでも彼女は恨むことなく、怒りを口にすることもなかった。2005年の会見での言葉は、当時の感情が今も消えていない証だった。
島倉千代子さんは、歌手としての地位を守りながらも、十六億円という借金を背負い、孤独の中で人生を切り開いた。彼女の選択と忍耐、そして信じる心の強さは、まさに「人生いろいろ」という言葉そのものである。上がったり下がったり、笑ったり泣いたり、それでも歩き続ける姿勢を、島倉千代子さんは自らの人生で証明したのだ。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=ZP4mQRFcSEA,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]