「今日は何時頃帰ってくるの、亮太?」仕事中の息子に突然電話をかけてきた母・さなえの声は、いつもとは違って妙に機嫌がよかった。「そんなに遅くならないと思うけど……どうしたんだよ?」「今日はね、美味しいご飯をたくさん作って待ってるから。早く帰ってきてね」普段なら必要以上に連絡してこない母親の態度に、亮太は違和感を覚えた。「何かいいことでもあったの?」「ふふ、ちょっと嬉しいことがあったんだよ」「何?」「帰ってきたら教えてあげる」しかし、亮太が帰宅する前に、その嫌な予感は現実になった。帰宅した亮太に、さなえは満面の笑みで言った。「今日はお祝いだよ。美香さんが出て行ったからね」「……は?」亮太は言葉の意味を理解できなかった。「美香が出て行ったって、どういうことだ? 美香はどこにいるんだよ」「もう知らないよ。あの女は所詮他人だったんだから。出て行って当然でしょ」「まさか……美香を追い出したのか?」「追い出したなんて大げさだよ。勝手に出て行っただけ」だが、亮太はすぐにおかしいことに気づいた。美香に電話をかけても繋がらない。そして、家の中には美香のスマホが置きっぱなしになっていた。「スマホを置いたまま出て行くなんてありえないだろ。母さん、美香に何をした?」問い詰められたさなえは、悪びれる様子もなく言った。「あの女が悪いんだよ。私に嫌がらせばかりしてきたんだから」しかし亮太は知っていた。美香が作った料理を気に入らないと言って捨てたこと。掃除の仕方に文句をつけ、何度も責めていたこと。優しい美香が、関係を壊さないよう必死に我慢していたこと。「母さん、嫌がらせをしていたのは美香じゃない。母さんの方だろ」その言葉に、さなえは怒りを露わにした。「どうして私よりあの女の味方をするの? 私はあなたのお母さんなのよ!」「母親だから何をしても許されるわけじゃない」亮太が問い続けると、ついにさなえは真実を口にした。「少し頭を使っただけだよ。美香さんが買い物に出ている間に、鍵を交換したの」「……鍵を?」「そう。これでもう勝手に家に入れないでしょ」亮太は耳を疑った。妻が外出している間に家の鍵を変え、スマホまで家に残したまま締め出した。それは家族の間で起きた小さな喧嘩などではなかった。「母さん、もう出て行ってくれ」「何を言ってるの? 私を追い出すの?」「そうだよ」亮太の家は、美香と二人で建てた大切な場所だった。そもそも、さなえが父親との離婚後、突然同居を始めた時も、美香は嫌な顔ひとつせず受け入れた。それなのに、さなえは家に入った途端、自分の家のように振る舞い、美香に命令を繰り返した。「私はあなたを育ててきたのよ。親孝行するのは当たり前でしょう」「育ててくれたことには感謝している。でも、俺の大切な人を傷つけることは許せない」そして亮太は、さらに決定的な事実を伝えた。「美香は今、妊娠しているんだ」さなえの表情が変わった。「妊娠……?」「そうだよ。そんな美香を追い出して、鍵まで変えた母さんを、俺はもう許せない」さなえは慌てて言い訳を始めた。「子供が生まれたら、あなたが私を追い出すかもしれないと思ったのよ」亮太は呆れた。「どこまで自分のことしか考えていないんだよ」その後、亮太は美香の実家から連絡を受けた。美香はスマホも持たず、家に戻ることもできず、仕方なく実家に帰っていた。「ご両親にも言われたよ。このままなら美香を守れないって」亮太は決意した。「だから母さんには出て行ってもらう。俺は美香を迎えに行く」「母親を捨てるつもりなの?」「違う。家族を守るだけだ」亮太は姉の和代にも連絡をした。昔から母親と衝突が多かった和代だったが、今回ばかりは事情を聞いてすぐに動いた。さなえは和代に連れられ、家を出ることになった。その後、和代はさなえのためにアパートを用意し、仕事まで紹介した。しかし、それでもさなえは不満ばかり口にしていた。家族は少しずつ距離を置き、最終的にさなえとの関係を断つことを決めた。一方、美香と亮太の間には元気な男の子が生まれた。過去の騒動を乗り越えた二人は、家族三人で穏やかで幸せな日々を送っている。自分の息子だから、自分を優先してくれるはず。そう思い込んでいたさなえは、最後まで気づかなかった。本当に大切にされる人とは、相手を大切にできる人なのだということに。