ひとつの写真を見ただけで、空気が変わる。薔薇を手に、黒い衣装、伏せるような瞳。中森明菜――この名前を聞くだけで、胸の奥がざわつく人は多いはずだ。
それは懐かしさではない。「今でも生きている美学」に触れた時の、あの震えに近い。時代を超えてなお、“孤高の輝き”を放ち続ける存在。彼女は、いまも“誰にも追いつけない女”の象徴なのだ。
■ 美しさとは、完璧ではなく「痛みを纏うこと」
この写真の明菜は、完璧に整っている。赤いネイル、黒のレース、薔薇。それなのに、なぜこんなにも“儚さ”が滲むのだろう。
彼女の美しさには、悲しみが隠れている。
笑っているのに、どこか寂しい。強そうなのに、守ってあげたくなる。この“相反する感情”が、見る者の心を掴んで離さない。
彼女が流行を追ったことは一度もない。むしろ時代が、彼女の後を追っていた。
流行ではなく「生き方」で美を語る人――それが中森明菜という存在だ。
■ “歌姫”ではなく、“物語”だった
80年代の中森明菜を思い出すと、そこにはいつも「孤独」があった。
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