三笠宮崇仁親王と百合子妃のもとに生まれた三男二女は、皇室の中でもひときわ個性と波乱に満ちた人生を歩まれた。崇仁親王は大正天皇の第四皇子で、昭和天皇の末弟。学者肌で知られた一方、戦後の皇室の激変期を生き抜き、百合子妃とともに五人の子を育て上げた。
長女の近衞甯子さんは、学習院大学在学中に近衞忠煇氏と結婚。旧名家同士の華麗な縁組として注目され、のちに日本赤十字社副総裁や長野五輪選手村名誉村長を務めた。
祖母・貞明皇后から深く可愛がられた存在でもあり、皇室の温かな日常を知る一人だった。
長男の寬仁親王は、オックスフォード留学や札幌五輪組織委員会勤務を経て、福祉活動、障害者スポーツ、国際親善に力を注いだ。麻生信子さんと結婚し二人の女王に恵まれたが、皇族としての制約に悩み、皇籍離脱発言で世間を騒がせたこともある。さらに、がんやアルコール依存症との闘病、信子妃との別居報道など、晩年は穏やかとは言い難かった。女系天皇に反対し、旧皇族復帰を主張した発言も大きな波紋を呼んだ。
次男の桂宮宜仁親王は、学習院大学卒業後、オーストラリアに留学し、NHKにも勤務した。未婚のまま桂宮家を創設したが、独立からほどなく急性硬膜下血腫で倒れ、視力喪失や半身麻痺を負った。
それでも車椅子で公務に復帰し、福祉関係の活動に心を注いだ姿は、多くの人に強い印象を残した。若き日の「税金泥棒」という心ない言葉に深く傷ついたという逸話は、皇族であることの孤独を物語っている。
次女の千容子さんは、語学に優れ、フランス留学を経て裏千家の家元後継者・千宗之氏と結婚。第十六代家元夫人として茶道界を支え、国際茶道文化の発展にも携わった。
皇室と伝統文化をつなぐ存在として、静かに重い役割を担ったのである。
三男の高円宮憲仁親王は、カナダ留学後、国際交流基金に勤務し、鳥取久子さんと結婚。三人の女王に恵まれた。サッカー振興に尽力し、日韓ワールドカップ開催時には皇族として韓国を公式訪問するなど、国際親善の象徴的存在となった。しかし平成十四年、カナダ大使館でスカッシュ中に倒れ、四十八歳の若さで薨去された。
崇仁親王は百歳まで長寿を全うされたが、三人の親王はすべて父に先立った。残されたのは、華やかさの裏にあった病、葛藤、別れ、そして皇室存続への深い問いである。三笠宮家の子供たちの歩みは、戦後皇室の光と影を映す、忘れがたい物語だった。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=6AL1WlG5U9c&t=75s,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]