義父の一周忌の日、親族が集まる座敷で、義母は私に言いました。
「他人はもう帰って」
隣にいた夫まで、「お前はもうこの家の人間じゃない」と同調しました。
私は15年間、義父の介護を続けてきました。義母は「長男の嫁なら当然」とほとんど手を貸さず、夫も仕事を理由に義父の世話から離れていました。それでも耐えられたのは、義父だけがいつも私の苦労を見てくれていたからです。
私は何も言い返さず、ポケットから傷だらけの合鍵を出しました。
「今までお世話になりました」
カチャリ。
仏壇の前に鍵を置くと、義母は鼻で笑いました。
けれど、私には義父と交わした約束がありました。
亡くなる3日前、病室で義父は私に古い手帳を託しました。そこには夫の浮気、義母がそれを知りながら隠していたこと、さらに2人が義父の財産から金を動かしていた記録まで残されていました。
「一周忌が終わるまで何も言わず耐えなさい。佐藤弁護士には全部話してある」
私はその言葉を守り、1年間黙っていました。
翌朝。
再び親族が集まった座敷に、佐藤弁護士と銀行員が現れました。
夫は私を見るなり、「遺産目当てで戻ってきたのか」と笑いました。
しかし銀行員が、義父の口座から不自然に引き出された約500万円の記録を示すと、空気が変わりました。
さらに夫は、自分から「新しいマンションの頭金に300万円使った」と口を滑らせました。
そして遺言書が開かれました。
義父は夫と義母の行動を把握したうえで、長年自分を支えてくれた私に、家と残された財産を託すと書いていました。
「受遺者は、ゆみさんです」
その言葉が読まれた瞬間、夫の手から数珠が畳に落ちました。
義母は「他人の女に全部渡すなんて」と叫びました。
けれど義父にとって、血のつながりだけが家族ではなかったのでしょう。
最後までそばにいたのは誰か。
苦しい時に手を握ってくれたのは誰か。
義父は、それを15年間ずっと見ていました。
私は財産が欲しくて介護したわけではありません。
ただ、あの日「他人」と切り捨てられた私に、義父だけは最後まで「家族だった」と答えを残してくれたのです。