義母が事故で寝たきりになってから、20年。
私は夫と一緒に、義母の生活を支えてきました。
買い物、食事、着替え、体を拭くこと、トイレの介助。義母自身も「20年もありがとう」と口にするほど、私たちは長い時間を同じ家で過ごしてきました。私にとっては、単なる「夫の母」ではなく、家族として接してきたつもりでした。
そんなある日、義母が遺言書を作ると言い出しました。
私は相続に詳しい弁護士を探し、自宅に来てもらいました。
その際、偶然聞こえてきた言葉がありました。
「かわいい次男夫婦には1億円。長男夫婦には300円でいいわ」
最初は、聞き間違いだと思いました。
次男夫婦は義母と距離を置き、介護にはほとんど関わっていません。それでも義母は、昔から次男を特別にかわいがっていたのです。
私は義母に直接確認しました。
「私たち、20年間お母さんの面倒を見てきましたよね。何か気に障ることをしましたか?」
すると義母は悪びれる様子もなく答えました。
「介護は親孝行でしょう? 見返りを求めているの?」
そして、
「あなたはどう頑張っても長男の嫁。300円でも渡すんだから感謝して」
と言ったのです。
問題は300円ではありませんでした。
私が傷ついたのは、20年間家族だと思っていた相手から、「あなたは結局、外から来た人」と線を引かれたことでした。
私はそれ以上争いませんでした。
「遺産はお母さんのお金です。ご自由にしてください」
そう伝えました。
そして2週間後。
私は夫と、この家を出ることを決めました。
寝たきりの義母を1人にはできないため、介護施設も手配しました。
急な入居になるため、最初の1年間の費用はこちらで負担し、その後は義母自身の財産から支払う形にしました。
義母は慌てました。
「あなたがいなくなったら、私はどうやって暮らすの?」
私はそこで初めて、本当に悲しかったことを伝えました。
「遺産が欲しかったわけではありません。20年間、私はお母さんを家族だと思っていました。でも、お母さんにとって私は最後まで“長男の嫁”だった。
それが分かったから、もう疲れたんです」
次男も義母の判断を知ると、20年間介護してきた私たちへの扱いに怒り、母親との距離を置くことを決めました。
施設に入った義母は、後になって「遺言を書き換えるから戻ってきて」と何度も頼みました。
けれど私は戻りませんでした。
金額を変えれば済む問題ではなかったからです。
20年間積み重ねた関係が、300円という数字で壊れたのではありません。
その数字によって、義母が私たちをどう見ていたのかが、初めてはっきり見えてしまったのです。