藤原道長が歴史に残る大権力者として君臨した平安時代。その道長には多くの子供たちがいましたが、彼らの人生は一筋縄ではいきませんでした。特に、道長が正妻倫子(りんし)と側妻である源明子(あきこ)との間にもうけた子供たちには、明確な格差が存在していました。この格差は、子供たちの人生に大きな影響を与え、その後の彼らの生き方を大きく左右しました。
源明子は、道長にとって正妻ではなく側妻の位置にありました。それにもかかわらず、彼女は6人の子供を道長に産みました。しかし、正妻倫子との子供たちに比べて、明子の子供たちは常に二番手の扱いを受けることになります。道長の目から見ても、正妻の子供たちが第一であり、明子の子供たちは彼らの影に隠れる形となりました。
特に、道長の長男・頼道(よりみち)との間には顕著な格差が存在し、明子の子供たちは彼に従わざるを得ませんでした。
明子の長男、義宗(よしむね)はその格差に幼少期から苦しめられます。特に、8歳の時に行われた宮廷での舞の披露が彼にとって決定的な瞬間でした。彼の舞は絶賛され、周囲の貴族たちからも称賛を受けましたが、これに対して道長は不満を抱きました。
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