藤原道長の娘・彰子(しょうし)の生涯と、その後の彼女がどのような人物かを解説いたします。紫式部の教育を受けた彼女は、どのようにして歴史に名を刻んでいったのでしょうか?人々を魅了したその人物像に迫ってみましょう。
藤原彰子は、長保元年(999年)に藤原道長の長女として誕生しました。彼女の父である藤原道長は、当時の政治の中枢で絶大な権力を握っており、自らの勢力をさらに強固なものにするため、長女である彰子を一条天皇の中宮にさせようと画策しました。
しかし当時、一条天皇には藤原道隆の次女・定子(ていし)という相思相愛の中宮がいました。彰子が中宮になるのは容易ではない状況でしたが、道長は一条天皇や周囲の人々に対して強い圧力をかけ、ついに彰子を正式な中宮として認めさせることに成功しました。道長の権力は絶大であり、彰子の中宮就任は前代未聞の異例でありました。
やがて定子は二十四歳の若さで亡くなり、彰子は唯一の皇后となります。その後、彰子は一条天皇との間に二人の皇子を授かり、次の天皇として後一条天皇と後朱雀天皇の母となります。
彰子は、父・道長とは異なり、公平で正義感の強い女性でした。彼女は敵対する家系にも敬意を払い、没落した定子の親族に対して経済的な援助を行うこともありました。また、彼女は紫式部をはじめとする多くの才能ある女房たちを集め、源氏物語や和歌などの文化的な教養を磨きました。紫式部は彰子との初対面について「大変奥ゆかしく控えめ」と日記に記しています。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=ulN1QgNll2w,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]