紫式部が明子の元に出仕した後、女房生活に馴染めずに実家に戻り、それから再出仕して明子サロンの中心メンバーになるまでの様子について紹介します。
紫式部は、源氏物語の作者として名を馳せる前から注目されていた女性です。しかし、広貴な出自の秋子の女房たちは、紫式部が自分たちを見下すのではないかと警戒していました。紫式部自身も出仕に対して消極的で、その結果、初めから大きな溝ができてしまいました。
夫の藤原信孝が亡くなった後、紫式部は父も使える東園と平新郎の元に出入りしていました。平新郎をモデルにした源氏物語の冒頭部分を書きながら明子の召しを受け、千五年十二月二十九日に出仕しました。しかし、年末の忙しい時期に初めての出仕を果たすことで、女房たちからの歓迎はなく、孤独感を深めていきました。
実際、式部は年の瀬という時期の悪さもあり、女房たちから冷たい目で見られるばかりでした。
引きこもり生活を送る紫式部でしたが、源氏物語の執筆を続け、その物語が多くの人々の耳に届くようになりました。起立模状という最初の巻は、友平進王をモデルにしながらも、自分自身の感情や現実を織り交ぜた作品でした。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=I9WNIwGDy4M,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]