藤原道長の権力の頂点にあった時代、彼の娘である彰子の出産は、当時の宮廷にとって重要な出来事でした。この出来事は単なる家族の喜びではなく、国家の命運を左右する重大な局面でした。しかし、その裏側では呪詛や陰謀が蠢いており、藤原家の栄光と没落が交錯する瞬間でもありました。
時は寛弘四年(1007年)、彰子が一条天皇との間に懐妊したというニュースが宮廷中に広まりました。
彰子は、安産祈願のために道長の邸宅である土御門殿に移りました。ここで、紫式部を含む女房たちが彼女を取り巻き、安産を祈願しました。
九月十一日、彰子はついに男子を出産しました。後に後一条天皇となるこの王子の誕生は、宮中に大きな喜びをもたらしました。道長はこの喜びを体現し、孫を抱き上げた際には、その喜びを隠すことなく涙を流したと言います。
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