藤原頼通(ふじわらのよりみち)は、平安時代中期を代表する人物であり、父・藤原道長の権勢を引き継いだ後継者として知られています。しかし、彼の生涯は決して順風満帆なものではありませんでした。偉大すぎる父の影に苦しみ続け、道長が築いた藤原氏の栄華を守りながらも、その重責に押しつぶされていく様子は、まさに悲劇的なものでした。
頼通は、992年に誕生しました。父は権大納言であり、その後も藤原家の頂点に君臨する道長。頼通は、藤原氏の後継者として期待され、幼少期から将来のために厳しく教育を受けました。彼の才能や人柄は、周囲からも評価され、紫式部の『紫式部日記』にも「気品に満ちた優雅な貴公子」として描かれています。
しかし、頼通が14歳で右近衛権少将、さらには参議に昇進するなど、その出世は異常な速さでした。これは、父・道長の権力によるものが大きく、頼通は自らの力で登り詰めたわけではなかったのです。
25歳という若さで内大臣に任命された頼通は、父・道長の突然の引退により、すぐに関白の座に就くことになりました。道長は表向きには政界から身を引いたものの、実際には背後から指示を出し続け、頼通は実質的な権力者にはなれませんでした。
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