本日、上皇さまのお誕生日を迎える。街の喧騒の裏で、平成という長い季節を静かに照らした人の面影が、ふと胸の奥に立ち上がる。祝寿の言葉を捧げながら、私たちは同時に「忘れない」という誓いを新たにする。
取材で皇居・宮殿前に立ったことがある。平成最後の誕生日となった2018年12月23日、冷たい空気を裂くように人々が二重橋へ続き、手には小さな旗、胸にはそれぞれの人生の重みがあった。上皇さま(当時天皇陛下)はお出ましになり、穏やかな声で感謝を述べ、「皆さんの健康と幸せを祈ります」と結ばれた。短い言葉が、見知らぬ誰かの一年を支える柱になる——その瞬間を、今私は見た。
忘れがたい事例がある。東日本大震災ののち、避難所を訪れた上皇さまは、床に膝をつき、被災者と目線を合わせて語りかけられた。張りつめた空気の中で、ひと言の温度が灯のように広がった、と当時の支援員は語る。
「大丈夫ですか。どうかお身体を大切に」。形式を超えた寄り添いが、涙をこらえていた人々の背中をそっと押した。
阪神・淡路大震災の現場でも、上皇さまは土埃の匂いが残る場所に立ち、亡くなった方々へ深い哀悼を示された。熊本地震、西日本豪雨——時代が変わっても、足は現場へ向かい、祈りは被災地へ届いた。慰問は“行事”ではなく、“人の痛みを受け取る時間”だった。
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