紫式部、本名は藤原香子(ふじわらのかおるこ)、は藤原為時(ふじわらのためとき)の娘として生まれました。彼女の父、為時は学問に優れた人物でしたが、藤原氏の中でも下級貴族に属しており、その地位は高くありませんでした。それでも為時は一度、大出世を果たし、藤原一門の中で名を馳せました。
しかし、火山天皇の退位により、為時は再び失職し、家族は貧しい暮らしに戻ることとなります。この状況の中、紫式部が幼い頃から知っていた人物が現れました。それが、後に彼女の夫となる藤原宣孝(ふじわらののぶたか)です。
宣孝は、紫式部よりも20歳以上年上であり、すでに複数の妻を持つ人物でした。彼は社交的で派手好きな性格で、宮中でも目立つ存在でしたが、その一方で彼の自由奔放な性格は、他の貴族たちからも注目されていました。
そんな彼が紫式部に近づき、次第に二人の間に恋が芽生えます。996年、藤原為時がようやく新たな職を得た際、紫式部は宣孝との交際を深め、ついに結婚に至ります。しかし、彼女の夫婦生活は順調とは言えませんでした。
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