今日は藤原兼家の娘・詮子(あきこ)がなぜ円融天皇に嫌われたのか、その背景について詳しくお話ししていきます。ドラマ『光る君へ』では、詮子を演じる吉田羊さんの存在感が際立っていますが、彼女がなぜ天皇から嫌われたのかという点は、多くの視聴者にとって謎めいた部分でした。
詮子の物語は、円融天皇の前に即位していた冷泉天皇の時代に遡ります。冷泉天皇と円融天皇は兄弟であり、二人の母親は藤原安子という人物です。冷泉天皇が即位した時、まだ彼には男児がいなかったため、弟の守平親王(後の円融天皇)が皇太子に選ばれました。しかし、冷泉天皇には幼い頃から問題行動が多く、即位からわずか2年で円融天皇に位を譲らざるを得なくなりました。
冷泉天皇が位を譲った際、すでに彼には息子の師貞親王が誕生していました。
冷泉天皇としては、自分の息子を次期天皇にするために、円融天皇の即位を一時的なものとし、いずれは師貞親王に位を譲ることを望んでいたのです。この背景が、詮子と円融天皇の関係に影を落とすことになったのです。
円融天皇が即位した当初、多くの貴族たちは彼の治世を短期間の「中継ぎ」政権と考えていました。
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