平安時代、藤原家を舞台に展開された権力闘争の中で、姉妹の対立が熾烈を極めました。藤原道長の娘たち、彰子と妍子は、天皇家の継承問題をめぐって宿命のライバルとなり、藤原家内でも複雑な骨肉の争いを繰り広げました。この物語は、藤原一族の内部抗争と、時の権力構造を垣間見ることができる貴重な一幕を描いています。
妍子(けんし)は、藤原道長と彼の正妻である源倫子の次女として生まれました。姉の彰子(しょうし)はすでに一条天皇の中宮として立派な地位を築いており、その間に二人の王子、敦成親王と敦良親王をもうけ、道長の期待を一身に受けていました。そんな中で成長した妍子は、父からも姉からも注目されることなく育ちます。
17歳になった妍子は、藤原道長の政略結婚の一環として、三条天皇となる居貞親王(いさだしんのう)の中宮に立てられました。
その後、一条天皇の退位により三条天皇が即位すると、妍子は中宮としてその地位を得ましたが、三条天皇との間には男子をもうけることができませんでした。
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