私が小学校低学年の頃、父と母は離婚しました。父が家を出て行ってから、私たち家族は母と弟の3人で暮らしていました。母は、私たちを育てるために朝から晩まで働き、昼間は普通の仕事、夜は水商売と、二つの仕事を掛け持ちしていました。
私たちが学校から帰ると、暖房のない寒い部屋で母の帰りを待ちながら、空腹に耐えなければなりませんでした。
それでも、懸命に働く母を見て、私は早く家事を覚え、小学6年生になる頃には、ほとんどの家事を引き受けるようになりました。
高校に進学してしばらくした頃、母は泣きながらこう言いました。
「不景気で給料が下がって、家賃も上がってしまった。養育費もないし、このままでは生活できない。肝臓も悪くなって、弟も学校に行かせられない。悪いけど、学校を辞めて働いて欲しい…」
その言葉に、私の心は揺れました。
部活で大会を目指して頑張っていた私には、まだ未練がありました。しかし、家族を支えなければならないという責任感が勝り、私は母の言葉に従って高校を辞め、仕事に出ることを決意しました。
18歳になるまでは、毎月の給料から1万円だけを手元に残し、残りはすべて母に渡しました。18歳を迎えた後は、母の紹介で水商売に就き、毎月20万円を母に渡し続けました。
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