「源氏物語」は、日本文学史上最も有名な物語の一つであり、その主人公である光源氏のモデルについては、長年多くの議論が交わされてきました。光源氏の魅力的な描写から、様々な歴史的人物がモデルとして挙げられてきましたが、近年では、藤原道長の妻である明子の父、源高明が光源氏のモデルではないかと注目されています。
源高明は、村上天皇の第一皇子であり、幼少期に親王から臣籍降下して「源」を名乗った人物です。光源氏と同様、彼も天皇の子供であり、その生い立ちには共通点が多く見られます。高明は聡明で学問に優れ、若くして朝廷で頭角を現し、26歳で参議、54歳で左大臣という高位に就いた、まさに「光り輝く」エリートでした。
しかし、その後の権力闘争に敗れ、左遷されるという波乱万丈の人生を送ります。この挫折の運命が、光源氏の晩年の姿とも重なることから、高明が光源氏のモデルではないかと考えられるようになりました。
「源氏物語」を執筆した紫式部は、藤原道長の庇護を受け、その援助によって物語を完成させました。道長は、当時貴重であった紙を惜しみなく紫式部に提供し、物語の執筆を支援したと言われています。道長は、自らの政治的な目的のために、光源氏という理想の貴公子像を描かせた可能性が高いのです。
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