平安時代の貴族女性にとって、出産は一生を左右する重要な使命でした。特に、明子のように藤原道長の娘であれば、その重圧は計り知れません。道長は、天皇の外祖父となることで権力を掌握しようとしており、そのために娘が男子を出産することが絶対条件でした。明子が12歳で一条天皇に入内してから、9年もの間、子供が生まれないという事態は、家族全体にとって大きな不安要素であったのです。
ついに、明子が懐妊したという知らせが一条天皇に伝わります。妊娠の兆候に気づいた天皇は、すぐに道長や周囲にその喜ばしいニュースを伝えました。この瞬間から、道長は全力で娘の出産を支援することに力を注ぎます。娘の無事な出産を祈願するため、道長は12人の僧侶に命じて、24時間体制で経を上げさせるなど、壮大な準備が進められます。
平安時代の人々は、出産に困難が伴う場合、それは「物の怪」の仕業であると考えていました。そのため、出産の際には、悪霊や物の怪を退散させるための儀式が行われます。道長の邸宅でも、多くの僧侶が集まり、密教の呪文を唱えながら、物の怪との戦いを繰り広げました。明子の出産はまさに命がけの戦いであり、その緊迫感が屋敷全体に漂っていました。
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