紫式部が深く関わることとなった彰子サロン、その内部には華麗でありながらも複雑な人間関係が渦巻いていました。
紫式部が彰子の女房として仕え始めた頃、彼女は孤立感を感じていました。それもそのはず、彰子の周囲にはすでに権力と血筋を誇る女房たちが集っていたからです。宮の宣旨として知られる源の隆子や、左近の内侍、さらには馬の中将の君など、いずれも高松殿や藤原氏の血を引く貴族の娘たちが、その顔ぶれを揃えていました。
その中でも、特に宮の宣旨は、紫式部にとって大きな壁となりました。彼女は彰子の女房集団の中で筆頭の地位にあり、その立場を揺るぎないものとしていました。源の隆子は、祖父である醍醐天皇の血筋を引き、彰子の信頼を一身に受ける存在でした。紫式部は、彼女の高貴な風貌や上品な振る舞いを賞賛しつつも、その存在感に圧倒され、常に気を遣わざるを得ない状況に追い込まれていました。
一方で、左近の内侍は紫式部に対してあからさまな敵意を抱いていました。彼女は一条天皇に仕えていた代理女房として、紫式部が新参者であることを理由に、冷たく接しました。紫式部は「日本木のみつ」というあだ名をつけられ、嘲笑の対象となりました。その背景には、源氏物語で高松殿をモデルにしたと思われる登場人物が、否定的な描写を受けたことが影響していると考えられます。
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