「愛」と「忠義」は、時に同じ言葉になる。そのことを、誰よりも深く生きた女性がいた。名前は──乃木静子。
明治という激動の時代、彼女は“武士の妻”として夫に寄り添い、そして最後は夫と共に命を絶った。その生き方は、100年を経た今も「愛のかたちとは何か」と私たちに問いかけてくる。
鹿児島に生まれた少女、静子
安政6年(1859年)、鹿児島藩士の家に生まれた静子は、武家の娘として厳しいしつけの中で育った。時代は幕末、価値観が大きく揺れ動く中で、女性の生き方は限られていた。20歳のとき、彼女は陸軍軍人・乃木希典と結婚する。
夫は真面目で質実な人柄だが、当時はまだ貧しく、結婚生活は決して楽ではなかった。姑との確執、家計の苦しさ、夫の転勤──それでも静子は耐えた。「妻として支えること」こそ、自分の生きる意味だと信じていたからだ。
戦場に香る“祈りの香水”
やがて時代は戦争へと向かう。日露戦争。夫・乃木希典、そして息子たちも出征することになる。
静子は銀座・資生堂で香水と石鹸を買い、彼らに送った。香水1瓶8円、石鹸2個1円。当時の9円は女性の給料2ヶ月分に相当するほどの高価な品だった。
それは虚栄でも贅沢でもない。「もし戦場で亡くなっても、あなたたちの体から香りが漂うように」──妻として、母として、最期まで清らかであってほしいという願いだった。
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