日本の歴史の中で、社会の変化に逆らわず、静かに山中で生活を続けたとされる謎の集団「山窩(サンカ)」についてご存じでしょうか?彼らは日本の狩猟や農耕の時代から現代に至るまでの激動の中で、自らの生活様式を貫き、社会から距離を置いて生きてきました。
山窩とは、戸籍を持たず、定住することなく本州の山中を転々としながら生活していた人々を指します。
彼らの存在は、1950年代まで確認されており、明治期には約20万人もの山窩が日本各地に存在していたと推測されています。山窩は氏族でも民族でもなく、特定の共同体や組織を持たない漂白集団でした。
彼らの生活様式は非常に独特で、洞窟や「遊佐針」と呼ばれるテントで家族単位の生活を送りました。農耕を行わず、狩猟や採集、手工芸品の制作などで生計を立てており、その生活スタイルは「せぶり」と呼ばれました。また、山窩は「永住せず、政治権力に服従しない」という独自の掟を持ち、誰にも支配されることなく、自由に生きることを貫いていたのです。
山窩の言語は、一般の日本人とは異なる特殊な言葉を用いていました。これは「山窩言葉」と呼ばれ、西日本と東日本で若干の違いがありましたが、広範囲にわたる漂白生活の中で共通する部分もあったといいます。山窩言葉は、彼らが古代日本の言語を守り続けていた可能性があると考えられており、また、古代日本で使用されていた「豊国文字」にも似ているとされています。
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