私は嵐尾。福島の食品会社で三十八年、商品開発から品質管理まで現場一筋でやってきた。定年を目前に控えたある日、会社から再雇用の条件を告げられた。「給料は以前の半分ですが」。役割を尋ねると「若手のサポートを中心に、柔軟にお願いします」という、あいまいな答えが返ってきた。品質管理の手順書なら一発で却下になるような曖昧さだったが、自分の再雇用契約書に赤ペンを入れる権利は、俺にはなかった。
六十歳の誕生日、待っていたのはケーキではなく、妻もも子が広げた電卓と家計簿だった。退職金千二百万円、貯金五百万円。息子の結婚祝いなどを差し引くと、実際に使えるお金は千五百万円ほどだという。「これは65歳までの私たちに渡すお金」ともも子は言った。年金が始まる65歳まで、まだ五年ある。二人の年金を合わせても月二十二万円ほどだが、そこには病院代も介護費用も、家の修繕費も入っていない。「まだ合格じゃない」ともも子は静かに言った。
会社に残れば六十五歳まで安泰。俺はそう思っていた。だが再雇用が始まってしばらくすると、見慣れない書類に目が留まった。六十歳以上六十五歳未満で給料が下がった人を支える国の給付金制度だという。
ただ、その支給率の上限は縮小されており、頼りきれるものではなかった。役割も次第に軽くなり、品質管理一筋だった俺の仕事は、いつの間にか倉庫のダンボール整理になっていた。
そんな折、もも子の実家に近い農家の誠治さんから、形が悪いだけで出荷できない大量の野菜を分けてもらう機会があった。捨てるしかないという野菜を見て、もったいないと感じた俺は、久しぶりに包丁を握り、ピクルスを漬けてみることにした。
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