退職届を出した日の朝、オフィスの蛍光灯はやけに白く感じた。二十年、同じフロアで同じ机に向かい、同じ会社の看板を背負って働いてきた。残業も、休日対応も、誰かの尻拭いも、全部「会社を守るため」だと信じていた。だが、その信頼は、新社長の一言で粉々に砕け散った。
人事部の会議室。机の上に置かれた封筒を前に、俺は静かに頭を下げた。
形式上の面談だと思っていた。しかし、新社長は椅子に深く腰掛け、薄く笑いながら封筒を指先で叩いた。
「退職金? 期待してた? 君の分は……三十九円だ。はは」
一瞬、耳を疑った。冗談にしても悪趣味が過ぎる。だが、隣の人事課長は目を合わせず、社長秘書は淡々と書類を揃えるだけだった。新社長はさらに言葉を重ねた。
「古い体質の象徴みたいな人材に、金を払う余裕はないんだよ。分かるだろ? これからはスリム化が正義だ」
頭の中が冷え、心臓の鼓動だけが大きくなる。二十年の記録が、たった二桁の硬貨以下の価値だと言われたようだった。怒鳴り返すこともできた。机を叩いて抗議することもできた。だが、口を開けば負けだと直感した。
ここで感情を見せれば、俺の二十年は「面倒な古株」の烙印で終わる。
俺は封筒をそっと閉じ、椅子から立った。
「承知しました。お世話になりました」
その一言だけ残し、会議室を出た。背中に嘲笑が刺さる気がしたが、振り返らなかった。エレベーターの鏡に映る自分の顔は、驚くほど無表情だった。怒りも悲しみも、奥に押し込めたまま、ただ息だけが浅かった。
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