江戸時代の大奥。誰もが知るその神秘的な世界の裏側には、数百人の女性たちが住まう厳格な上下関係と複雑な日常が広がっていました。しかし、江戸城の無血開城がもたらした変化は、彼女たちの運命を一変させることとなります。今回は、その後の大奥の女性たちの運命に迫り、その悲劇的な結末を探っていきましょう。
大奥とは、江戸城内に位置し、将軍の家庭を支える女性たちが集う場所でした。江戸城本丸には、将軍の政務を担当する「表」と呼ばれる役所とともに、大奥が存在しました。大奥は、将軍の正室である「御台所」を頂点に、多くの女性たちが厳格な上下関係の中で働いていました。彼女たちは、将軍の身の回りの世話や様々な雑用をこなしていました。
しかし、慶応4年4月11日に江戸城は新政府東征軍に引き渡されることになり、江戸幕府が幕を閉じることとなりました。
職場を失った大奥の女性たちのその後は、決して簡単なものではありませんでした。彼女たちがどのような人生を歩んだのか、その一部を紹介していきましょう。
桜花混ぜ粉(さくらはな まぜこ)
桜花混ぜ粉は、1843年に生まれたとされる女性で、天璋院篤姫の御中臈(ごちゅうろう)として仕えていました。
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