江戸時代、約100万人が暮らしていた江戸の町では、現代とは大きく異なるトイレ事情が存在していました。庶民から武士、さらには将軍に至るまで、身分や生活環境によってトイレの利用方法や処理方法が異なっていました。今回は、江戸時代のトイレに焦点を当て、それぞれの身分ごとのトイレ事情を詳しく解説します。
江戸の庶民が住んでいた裏長屋では、「総後架(そうごうか)」と呼ばれる共同トイレが利用されていました。長屋の住民たちは、井戸やゴミ捨て場と同じ共有スペースに設置されたこのトイレを共用していました。総後架は男女共用で、扉が下半分しかない構造のため、用を足す際には上半身が見えてしまうという現代では考えられない作りになっていました。この設計は、臭いの充満を防ぐだけでなく、防犯上の理由もあったとされています。
総後架の内部は板敷きの床で、中央に長方形の穴が開けられており、排泄物は地中に埋められた木製の槽にたまっていきました。このトイレは現代のような水洗設備はなく、汲み取り式が一般的でした。庶民は「浅草紙」と呼ばれる再生紙を使って後始末をしており、これはトイレに備え付けられていないため、使用する際は自分で用意して持参する必要がありました。
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