江戸時代の日本では、自宅に風呂が設置されることはほとんどありませんでした。そのため、多くの人々は「湯屋」と呼ばれる銭湯に通っていました。現代のように手軽にお風呂に入れない時代にあっても、庶民たちは毎日入浴することが一般的であり、1日に何度も通うことも珍しくなかったのです。さて、江戸時代の「湯屋」
江戸の町は、夏の蒸し暑さや冬の風、土埃などで一年を通して体が汚れやすく、毎日の入浴が常識でした。自宅に風呂を設置しない理由には、水の貴重さや燃料となる薪の高価格、火事のリスクなどがありました。商人でさえ火事の恐れから自宅に風呂を持たないことが多かったのです。そのため、江戸の町には多くの湯屋が点在し、江戸時代中期にはその数が600件に達しました。
湯屋の料金は非常に手頃で、大人が8文(約240円)、子供は4文(約120円)でした。また、1ヶ月定額で何度でも入浴できる「ハガキ」という入浴定期券も販売されており、常連客には重宝されていました。特別な日には祝儀を上乗せするのが常識で、正月の初夢や冬至の日のゆず湯など、季節ごとのイベントもありました。
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